デマを流すのはどっちなのだろうか

橋下・維新大阪市会, 大阪都構想, 維新の西成区ヘイト

維新の大阪市議が、こんなことを書いていた。

おかしなことを言っている。「デマを流す党」とは、どこのことなのだろうか。

大阪都構想で新しく設置される新特別区では、都構想の協定書によると、旧行政区の名称を冠称として現行町名の上につけることを、案として明示している。西成区は新特別区では中央区になり、西成区役所が所在する西成区の行政・文化の中心地の岸里は「大阪市西成区岸里」から「中央区西成岸里」にされるとはっきりと例示されている。

「西成」の冠称を消したいといっても、大阪市長が定めるとしている以上、その保障はない。

「誤解を受けている西成の名前」というが、西成区という地名に対して不当なレッテル貼りや誤解があることは事実だとしても、そもそも誤解を広めて強めたのは誰か。橋下・維新にほかならない。

まず、数十年前から、あいりん地区の支援者などが、「あいりん地区はああいう無法地帯じゃないと都合が悪い。しかし自分たちに批判の矛先は向けられないように」とばかりにあいりん地区での否定的現象を指して「西成」呼ばわりするようになり、西成区には天下茶屋や岸里・玉出などあいりん地区とは全く異なる住宅街が広がっているにもかかわらず「あいりん地区が西成区のすべて」かのように扱い、その誤った用法にマスコミが加勢した。

その結果、西成区の一般地域の住民、また現在あいりん地区と呼ばれている地域でも元々この地域で普通に暮らしてきた地付きの住民が、たまたま西成区に住んでいるだけで・たまたま西成区で生まれ育っただけで「ガラの悪い地域の住人」「かわいそうな生育歴の人」などと勝手に決めつけられるなど、風評被害を身代わりで受けさせられる状況が生まれた。これが西成区への「誤解」の根本原因であろう。

「誤解」の原因が何かのヒントを示す、大阪市会質問があった。奇しくもこの質問を行った市議(当時)は、この維新市議の父親である。

大阪市会民生保健委員会 1994年3月18日 辻昭二郎委員

非常に短い時間の中でございますので、いろいろ質疑申し上げたい項目はございましたけれども、1点に絞ってひとつお伺いをいたしたいと思います。一堂に会していただいております理事者の皆さん方、それからプレスの皆さん方、同僚議員の皆さん方にも、ひとつよく西成区というものの再認識をしていただくために、私はあえて訴えをいたしたいと思いますので、どうかよろしくお願いを申し上げます。

私たちが住んでおります西成区、西成区というと非常にすさんだ人の住みにくいような地域のような印象が、まことに強うございます。それが証拠に、私たち体験をいたします就職の問題、結婚の問題、これまで大きな差別と言いましょうか、偏見を持たれておることは確かでございます。

商店街の店主がどうしても若手の店員が欲しい。そういうことで、自分の生まれ故郷の四国・九州に出かけて行って、職業安定所にお願いをし、中学の卒業生をぜひとも一人私のほうにお願いをしたい。やっとこさと理解を求めて、中学の卒業生の女性店員を確保いたしました。ところが、だんだんと卒業の時期が近くなってまいりました。そうすると、職業安定所のほうから、お約束しとったけれども、どうしても娘さんの両親が承知をしてくれないので、まことに申しわけないけれどもこの約束は取り消していただきたい。そんなことじゃ困りますというので、また即刻職業安定所に行ってお話を聞きますと、両親が大阪へうちの娘は就職をすることはお願いをした。よりによって西成区の商店街にお世話してくれと頼んだ覚えがない。そんな恐ろしい地域にうちの娘はやれませんといって、ついにこれは破談になってしまいました。

大体阿倍野区でもそうなんです。我々西成区を見下しとる。何でや言うと、地盤が高いんですからね、見下ろしとるんですよ。ところが、阿倍野再開発の事業をやって、旭町という商店街は阿倍野から西成区までずうっと続いとるんですよ。ずうっと歩道を煉瓦舗装していって、西成区のまだ坂の中途でペッと止めてまいよるわけです。住民・商店街どない思います、これ。文句言いに行ったら、これは阿倍野再開発でございまして西成関係おまへんねんと、そんなことは私は行政の中で絶対にあってはならないことやと。雨降ったら、阿倍野の泥水が西成区に、床上浸水することがあるんですよ。そやのに、再開発に関しては西成区は別やというような、私はそれ以上の深い考えはないと思うけれども、現在西成区の区民というものは言うに言えない不公平をこうむっておることは確かでございます。

私が当選をさしていただいた昭和34年ごろは、西成区の人口も20万近くあったんですよ。それが36年に釜ケ崎の暴動が起こりました。これから暫時減っていって、現在では人口13万9,000しかない。ところが、不思議なことに、所帯数は7万2,360あるんです。所帯掛ける2で人口足らんのです。1所帯に2人いない。これは一体何やということですね。ということは、老人が多いんです。ひとり老人のところが多い。その子どもはどうしたんかと言うと、結婚するときにこれ幸いに西成区から逃げ出していくんです。住んでよかったなというような気持ちじゃないんです。ああ、出て行ってよかったなというような、そういう若い人に気持ちを持たせておるということは、まことに私情けない限りであります。

しかも、西成区民はありとあらゆる問題に積極的に今日まで対応してまいりました。民生委員といい、保護司といい、町会単位の各団体が福祉問題にしても何にしても、気安く率先して行政に対して協力をしておるわけであります
ちなみに、昭和36年西成区に起こってはならない暴動事件が起こりました。私も当選しましてまだ2年目の新米の市会議員でした。びっくりして西成警察に駆けつけたところが、包囲されて丸1日警察の缶詰になりました。外に出られない。

なぜそんな問題が起こったということの反省に立ちまして、これは行政だけではございません。まず、労働者の皆さん方が非常に生活に困って、子どもを連れて職場を渡り歩きながら、小学校へも、中学校へも行けない子どもがたくさんおるという不就学問題が起こりました。これには、大阪市も、大阪府も力を合わせてあいりん小・中学校で対処いたしました。

また、不衛生な木賃宿、これを改修するために地域の業者の皆さん方も、ありとあらゆる力を合わせ協力をして、現在で簡易宿泊所というものも立派な環境に変わってまいりました。

そして、今度は就労に対してのいろんな意味でのピンはね、賃金の問題がございました。これについては行政は労働センターをつくり、公正な職業の安定に現在まで努力をしていただいております。

そして、一方、民生事業に、また社会福祉の事業に、いろんな進展がございました。診療所を兼ね備えた病院の設置、歯医者の診療所、そしてまた地域の再開発につきましては低家賃の市営住宅を建設して、そして末端まで行き届いてなかった都市再開発を、全力を挙げていたしました。道路も立派にでき上がり、そしてそこには道路の清掃、食事の問題、そしてまた民生局からもお力を得て民間の力での道路清掃、とにかく地域を美しくしよう。環境を何とか住民の力で変えようと、今日まで努力を多年に渡って続けてきたんでございますけれども、いまだ西成区の汚名はぬぐい去られないのが現実でございます。

そこで、私はきょうこの観点に立って、阪口助役にもお聞きをいただきながら、短い時間でございますけれども、西成区民の本当の心からの悲痛の叫びを皆さん方に聞いていただきたいと思うわけでございます。

(中略)

きょう、ここにお出での理事者の皆さんにもお聞きしたいんですが、東京の山谷、何区にあるかご存じの方は少ないと思いますよ。横浜の寿町、これは何区にあるのかご存じないですよ。ところが、あいりん地域とか釜ケ崎というたら、西成とこうくるわけです

これは、ぼくはこの前も決算委員会で報道の皆さんにお願いしました。東京は山谷でどんな問題が起こっても、東京の山谷と言って報道されます。それならば、あいりん地域も釜ケ崎も、大阪の釜ケ崎という報道をしてもらいたい。何にも罪のない西成区民が、この地域のためにどれだけ金を使い、どれだけ労力を使って、しかもそれを厚い、厚い愛情をくるめて努力をしてくるにもかかわらず、なぜ我々が汚名を着なければならないんだろうか

しかし「大阪都構想」および、それにともなって橋下・維新が打ち出した「西成特区構想」では、西成区の人たちの「勝手に特殊な街扱いされて不当なレッテルを貼られるのは嫌」という願いとは相反するどころか、そういう間違った発想から出発し間違った方向を強めるものである。

西成特区構想は、根本的にはあいりん地区と西成区を勝手に同一視して、「あいりん地区(釜ヶ崎)」と「西成(区)」の全く範囲の異なる地名をあいりん地区関係者にとって都合の良いように使い分け、あいりん地区にとって都合が悪いことは「西成」呼ばわりして風評を西成区の他地域に押し付けるような、「誤解」の発想の延長線上で生まれている。

橋下自身が、西成区とあいりん地区との区別が全くついていない。

「西成区はあいりん地区だけではない。地元の人間にとっての西成区イメージはあいりん地区一色ではない。西成区についてはどう認識しているか」という、西成区周辺に土地勘があれば誰でもわかるような単純明快な質問に対して、「意味がわからない」と答弁したうえ、質問した市議が「あいりん地区はあのままでいい・素晴らしい街と言った」と、当該市議が発言していないことを発言したかのようにねじ曲げる始末である。

2012年1月19日 決算特別委員会

尾上康雄委員

…私は西成区で生まれ育ちまして、今はこうして市会議員をして市政に携わるということで、本日御参加の皆さんとはちょっとやっぱり西成区の認識では違うかもしれません。また、そやけども西成区選出の市会議員、府会議員の皆さん、委員長もそうですけど、一緒の行政区なんで、思いとしては多分私は一緒だと思うんですけども、西成区というところ、これは都会の中心地にありながらとにかく物価が安い、ほんで住みやすい、しかも人情が温かい、これが大体セットで我々が語っている西成区なんです。そういう意味で、西成が変われば大阪、日本が変わるという中身は私が好きな表現です。だから、それだけ西成区に対するいろんな偏見もこれまでも、今もまだそういう意味では残っているという意味で、そのことに対して西成を変えるという橋下市長の意見というか考えというのは、当然私もそれ自身はいいことだというふうに思ってるんですよ。
そこで問題は、あいりん地域だけと違うて西成区の現状について、いろんな課題もありますけども、今も言いましたように西成区のいいこともあるので、そういう西成の現状についての認識というか、そこはどうでしょうか。

橋下市長

何の議論をしてるのかがさっぱりわかんなくて、これだけみんな人件費をかけて集まってるんですからきちっと議論させてもらいたいんです。
西成がいいか悪いかと言われれば、それはほかの区と同じように、いい部分もあれば悪い部分もあると。僕が問題意識を持ってるのはあいりん地区、またその周辺部をどうするかということでして、そこを、いや別にあのままでいいんですよと、すばらしいまちですよと、あいりん地区、あの周辺部、何も問題ないですよという認識からいくのか、やっぱり何とかあそこは力を入れて変えていかなきゃいけないのかという、その認識の違いだと思うんです。
どの都市でも、リーダーが力を入れて、それはニューヨークもそうでしたよ、ジュリアーニ市長がそうでしたし、ロンドンでもボリス・ジョンソンですか、その前からですか、リビングストンのときからもそうですけども、大ロンドン市長が誕生してからやっぱり都市のそういういろいろ状況というものを改善するのに力を入れた。ソウルだって李明博大統領がソウル市長のときに相当力を入れたと。だから、その力を入れるということを言ってるのに、それはイメージが悪くなるとか、結局何がおっしゃりたいんでしょうか。

橋下・維新が大阪都構想を打ち出す中で、あいりん地区の問題はまともに解決する気もないのに、あいりん地区の否定的な現象を面白おかしく言い立て、しかもそれを西成西成と騒いで西成区をお荷物地域扱いすることで、西成区への風評被害は強まった。とりわけ区割りを具体化する過程で、西成区全域がまるでおかしな地域と言わんばかりに、西成区とは一緒になりたくないだのと、そういう報道も目立った。

そもそも西成区に関係する人間ですら、怪しげな「人権」関係で利権を得ている人間は別として、普通に生活している住民・出身者なら、あいりん地区と一緒にされて勝手にあることないことごちゃごちゃと食いつかれ、凶悪地帯の住民とかかわいそうな生育歴の人とかなどと勝手に決めつけられるのは、一番嫌がることである。橋下・維新は、地元住民が一番嫌がることをしていると言っても過言ではない。もはや地域差別レベルである。

西成の地名を消すかどうかは、今のところ中立的ではある。しかし少なくとも、あいりん地区関係者やそれに加勢したマスコミ、また橋下・維新のような、「西成」の地名を「あいりん地区、特に同地域での否定的現象」の独自の意味にすり替えて勝手に使う人たちの存在が「誤解を受けている」原因なので、その間違った用法をやめさせることが第一の課題である。西成の地名を消すかどうかは、この問題を解決してからの話と考える。

しかし橋下・維新は、「あいりん地区=西成」とするその間違った用法を強めている。マイナスイメージを自ら振りまいて強化しながら、「マイナスイメージの地名をなくす」というのもおかしいのではないか。

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