「センター試験日のデモ」疑問、それに対する筋の悪い攻撃

考察

1月14日に東京・渋谷で「安倍政権NOデモ」が計画されている。このデモに関して、コース近くにもセンター試験会場があり会場にデモの音が聞こえてくるのではないか、最寄り駅駅前を通り受験生の交通に支障になるのではないかなど、受験生から不安が出されている。

このことについては、「センター試験の日にデモやるとかマジ騒音」は本当なのだろうか? 」(2017年1月11日)というブログのエントリが、ていねいに根拠を示しながら「そういう不安や心配は当たらないと考える」と論じている。

上記のブログは、疑問にていねいに対応しているもので、好感が持てる。

内容についても、デモコースの最接近地点からセンター試験会場まで500メートル以上離れていることで音が届く可能性は低い・ないしは届いても遠方を走る車の通行音や鳥のさえずりなどと同等の日常雑音レベルで影響がないレベルと考えられること、日常的に混雑する渋谷駅前スクランブル交差点では交通整理が徹底していることなどをあげ、不安はないと論じている。この論については、そのとおりだと考えられる。

加えて、会場の校舎は鉄筋コンクリートで、防音のような役割を果たして理論上の計算以上に音が減衰することが考えられることや、デモ最接近の通過時刻は試験中であり、試験会場に向かう・ないしは帰宅する受験生が巻き込まれる可能性は低いこともあげられる。

一方で、デモの趣旨に賛成する人間の中には、「自分たちへの意見は、全てが悪意を持ったものからの嫌がらせ」とばかりに筋の悪い喧嘩腰の対応をするのがごく一部にいるようで、無駄に反感を買う形になっている。

ツイッター上で喧嘩腰の対応を取ったものの一部が、togetterの「センター試験の日にデモする人、デモをすることに賛成する人たちの発言、言い分&行動まとめ」にまとめられている。

当ブログ主はデモの趣旨そのものには賛同し理解を示す立場ではある。しかしその一方で、このような筋の悪い攻撃的な態度を取る人物を「仲間」とはどうしても思えず、このようなものとは一線を画すものである。

「この時期にツイッターでデモに文句つけてるようなやつ、どうせ大学落ちるんだから気にすんな。」
「500m先のデモの音ごときで集中力乱れる受験生なんかが最初から受かる訳ないんだぞ。リスニング中に試験会場の隣を救急車が通って集中力が乱れたら救急車のせいになるんでつか??」
「実際にイチャモンつけている人は、どういう人が多いのかを考えていないのかな。ネトウヨや冷笑系からの批判に論理的に否定する姿勢は大切」
「全く無関係の者が大した検証もせず「騒音だ、渋滞だ、混乱だ」と煽り立てる行為には毅然と反論しなければならない」

なぜこんなに喧嘩腰なのか。これらの書き込みのツイッター主には、自称「共産党員」を匂わせるものまで複数いるが、共産党の方針にも反するのではないか(もっとも、共産党の狂信者と見せかけながら一般の人をドン引きさせて共産党への反感を生み出そうとするアンチの可能性を考えれば合点がいく)。

文句をつけている人間は「ネトウヨ」「冷笑系」に違いないと決めつけたりなど、ひどい。これのどこが「論理的に否定する姿勢」なのか。これらの書き込みこそ、主張の内容こそ正反対の方向性だが、手法としては「ネトウヨや冷笑系」の感情的な手口そのものではないか。

受験生の不安にはていねいに答える必要があるのに、受験生の善意の疑問も「ネトウヨや冷笑系」による悪意を持った言いがかりとひとくくりにして雑な攻撃をすることで、受験生だけでなく一般の多くの層まで敵に回すことになりかねない。

敵に回す必要のない人間、また本来味方のはずの人間まで、雑に敵味方で一括りにして、敵認定した相手には一方的に罵声を浴びせるような社会運動が、支持を得られるわけがない。

またこういう攻撃的なのは、いずれは「仲間」「中の人」にも牙を向いて襲いかかり、社会運動の内部分裂・内部撹乱・内部崩壊の重大なリスク因子となりうる。

社会運動を発展させるためには、多くの人に支持される必要があるし、少なくとも「個人的には少し考え方は異なっても、その意見や趣旨そのものは理解する」という層も作る必要がある。

一方で、自分たちと少しでも意見が異なると叩きのめして排除しようとするような態度では、支持も理解も得られない。自己満足そのものが目的化した運動になり、本当にその課題を解決したいと願っている人にとってはそういう人物こそが妨害になる。

スポンサーリンク