橋下維新は「支持票の弱い地域に報復するような政治行政」:西成区での事例から

維新信者のデマツイートを見つけた。

維新信者の嘘ツイート 2017年1月11日

どこからどこまでも事実関係が全く正反対である。よくこんなデタラメをいえるなと呆れ返る。

「支持票の弱い地域に報復するような政治行政」は、橋下維新が敵とみなしている堺市長は一切していない。というか、保守系でもリベラル系でも首長の政治信条を問わず、まともな首長ならば、そんな政治行政をすること自体が、モラルとしてありえない。

しかし「支持票の弱い地域に報復するような政治行政」をするような特異な集団があった。それは橋下維新のことである。

ツイートで例示されている西成区なんて、全くの私怨での報復としか思えない嫌がらせが特に激しかった地域ではないか。

2011年大阪市長選挙では、橋下と平松邦夫氏の一騎打ちとなったが、集計単位となる市内24行政区単位では、橋下の得票率が一番低かったのが西成区だった。

その後橋下は、西成区全域への敵意の言動を強める。

2012年4月20日には、西成区役所で懇談したことに関連して、「西成区は車から降りられない地域」と印象づけるような悪質な物言いをおこなった。

「西成特区構想」での撹乱・地域ヘイト

橋下は、持論の「大阪都構想」に関連して、あいりん地域といわれる一部地域に課題が集積し、大阪市の廃止・解体になって特別区に振り分けられると、あいりんを含む特別区に財政的な課題が重くのしかかることへの「対策」として、「西成特区構想」をぶち上げた。

しかし「西成特区構想」なるものは、「あいりん地域の一部の人たちに関わる問題」と「西成区全域」を故意にごっちゃにし、あいりん地域の課題を全く範囲も意味も違う「西成区」の地名にすり変えてあいまいにしたうえ、「西成区」がどうしようもない地域かのように西成区全域に地域ヘイトを食らわせる代物である。

西成区の地名にネガティブイメージがついた歴史的経緯

まず、橋下維新の地域ヘイトそのものを扱う前に、その背景となった歴史をみておきたい。

そもそも「西成」の地名は、上町台地の西側に形成された土地という意味であり、「あいりん地域」の意味ではない。地域的には現西成区域だけではなく、大阪市西部・北部の広い範囲にあたる。

歴史的には、13世紀に住吉大社付近に住んでいた人が玉出の地を開発して移住し、住吉から分かれる形で玉出の集落ができたと伝えられることが、現在の西成区の区域の始まりとされる。16世紀には玉出から分かれて天下茶屋の集落ができた。玉出は中世には環濠集落となり、江戸時代には大坂三郷に蔬菜や木綿を供給する近郊農村として栄えた。なにわの伝統野菜「こつまなんきん(勝間南瓜)」は、玉出の古称・勝間(こつま)村に由来すると伝えられる。また勝間村の「勝間木綿」も品質に評判があったと伝えられる。

19世紀後半(明治時代初期)に天下茶屋の郊外が郊外住宅地として開発され、現在の阿倍野区晴明丘となった。また20世紀初頭(大正時代)には地域の人口急増により、玉出から分かれて岸里の街ができたという経緯をたどった。

一方であいりんなどは、歴史的にみれば、あいりんの原型となったものは地域的には現在の中央区や浪速区が中心となる話だったものが、歴史的経過で現在の西成区北部にも範囲が広がったものである。また大阪広域の都市課題であって特定の街・集落特有の状況に由来する課題ではない。西成区の枠内だけで扱うべき問題ではなく、浪速区や中央区となっている地域も含めて、大阪広域の課題として扱われるべきものである。もともとの西成区の区域発祥の問題でもなければ西成区の区域に帰着する問題でもない。

しかし、これまであいりん地域の一部支援者やそれに同調したマスコミによって、「あいりん地域での否定的な課題、センセーショナルな現象」を「西成区」の地名と同一視され、「西成区」の地名が何かおかしなものの代名詞かのように否定的なイメージを付けられてきた。またアングラマニア・アウトローマニア気取りで面白おかしくあいりんをネタにし、しかもそれを「西成」と表現する者まで相次いだ。

これらによって、西成区の人は嫌な思いをしてきた経緯がある。

住吉区・住之江区・阿倍野区など他の行政区では「○○区だからどうの」という言い方はまずされない。しかし天下茶屋・岸里・玉出など西成区の各町は、行政上西成区に属しているというだけで「西成区だからどうのこうの」と、本物の地元の人や土地勘がある人が見たことも聞いたこともないような事実に反する「あいりん地域のおかしな現象を面白おかしく言い立てた」ネガティブイメージとセットにされて「ガラが悪い・かわいそうな生育歴に決まっている」などと勝手に決めつけられて異常に騒がれる。しかもそういうネガティブイメージを振りかざす事情通気取りは、西成区のことは一切知りもしないのに嘘イメージを振りかざし、本物の地元の人や土地勘のある人に対しても平気でその嘘イメージを押し付けようとする。さらに本物の地元の人・土地勘のある人から誤りを詳細に指摘されると逆ギレし、自分の誤った認識を改めずに、地域事情に詳しい地元の人・土地勘のある人を嘘つき呼ばわりして騒ぐ傾向もある。これこそが風評被害、地域ヘイト、嫌がらせそのものである。

また、あいりん地域と地理的に重なる地域に代々住み、あいりん関係者とは無関係に生活している西成区北東部の一部地域の人にとっても、「よそから来たあいりんの人たちに地域環境を荒らされて困っているが、大阪市は2000年代まで”あいりんの人たち好みの対策”ばかりで地元要求はほとんど無視」という状況が続いてきた。

あいりんの人の一部には困ったことに、「あいりんがああいう特殊な課題を持つ地域じゃないと都合が悪い」という発想があるようにみうけられる。それが行政にも影響を与えておかしな対策をして、地元の人は放置という状況が生まれていた。そのため、よそから来るあいりんの人達の流入の一方で、地域環境悪化に嫌気が差した元々の地元の人が流出するなどの問題が生まれた。

ネガティブイメージが薄まった2000年代

西成区選出の市議は「あいりん対策を西成区のまちづくりと同一視するのではなく、あいりんはあいりんとして別個に対策をおこなうべきもので、地元の人達の要求に沿ったまちづくりを」「あいりん対策は西成区の地域性に押し付けられるべきものではない」「西成区全域への風評被害に対応してほしい」と、党派を問わず度々議会で取り上げてきた。

例えばこれ。維新信者が「この議員の一族が代々あいりんを放置してきた元凶」かのように人格攻撃する「一族」の先代議員の質疑。これ一つとっても、維新信者が口から出まかせのデタラメであることがわかる。

1995年3月1日 大阪市会委員会 柳本豊市議(西成区選出・自民党)の質疑

1995年3月1日 大阪市会委員会 柳本豊市議(西成区選出・自民党)の質疑(クリックすると拡大)

 維新信者はまるで変な信仰にとりつかれたかのように「あいりん問題は橋下維新だけが取り組んできた」「あいりん地域を放置してきたのは、あの地域の...

2000年代に入り、関・平松両市政のもと、地元の人達の要求に沿った、地元のまちづくり・生活環境からとらえ直し、「西成=あいりんの一部の人達=特殊地域」と不必要に騒ぐのではなく、特別視することなくそれぞれの地域の実態や要望に沿って地域環境を改善していくという視点から課題解決が進められるようになった。

小学校前を不法占拠していた不法屋台の撤去は、柳本顕大阪市議(当時)の質問や各会派議員の視察などもあり、平松市政のもとで2009年までに実現したものである。

2009年12月24日、平松邦夫大阪市長の記者会見

2009年12月24日 平松邦夫大阪市長記者会見 萩之茶屋の不法屋台撤去完了について(一部)

2009年12月24日 平松邦夫大阪市長記者会見 萩之茶屋の不法屋台撤去完了について(一部) クリックすると拡大

これらによって、以前よりは「西成区」の地名へのネガティブイメージが薄まる方向ができていた。

しかしそれらの地元要求からの地道な取り組みをないがしろにしたのが橋下である。

橋下維新が「あいりんの否定的現象=西成」の一面的偏見を強めた

橋下維新の「西成特区構想」なる発想は、2000年代の市政の到達点を否定し、一転して「あいりん=西成」とする誤った発想を蒸し返し、「大阪都構想」と絡めて「西成区」の地名をなにかおかしなもの扱い・トランプのババ扱いで騒ぐ形になったものである。

「西成特区構想」の出発点自体、そもそもが「あいりんの人たち・あいりん地域の変な現象=西成区のすべて」「あいりんでの現象を面白おかしくネタにし、しかもそれを”西成”と表現する」という間違った発想からのものであり、西成区にとっては風評被害そのものである。

「あいりん地域の一部の人たち」が特殊でなければ都合が悪い、しかもそれを「西成」と言い換えて、たまたま行政上西成区なだけで無関係な地域の住民や、地理的にはあいりん地域と重なってもあいりんとは関係ない地元住民に非をなすりつけるという意味では、あいりんの人たちやそれに同調したマスコミと橋下維新は全く同じ発想に立っている。

橋下維新も、他県から送り込まれたホームレスや生活保護、自称あいりん支援者の貧困ビジネス、不法投棄、結核など「あいりん地域の一部の人たち」のイメージに合うネガティブなものだけを取り上げたうえ、その象徴・代名詞として「西成」の地名を使い、あいりんの一部の人たちの否定的な現象を「西成区全域」の課題にすり替えている。

そして、行政上西成区になっているだけであいりん地域とは何の関係もない・むしろ西成区としてはこちらが行政的にも歴史的にも文化的にも中心の天下茶屋や岸里・玉出などは、何の変哲もない、隣接する住吉区・住之江区・阿倍野区と大差ない住宅街で、別に特殊な街扱いされるいわれもないしそんなことは望んでいないにもかかわらず、「西成区というだけで特殊な街に違いない」と勝手に決めつけられ、何か特殊な街かのように扱われて勝手に騒がれる風評被害を蒸し返され、強められる形になった。また地理的にあいりんと重なる一部地域でも、元々の地元の人の要求がないがしろにされた。

これこそが、地域ヘイトである。

また、あいりんにかかる課題を「西成区」と同一視しても何の解決にもならないのは、1990年代までの市政でも明らかである。

あいりんとは関係ない地域も含めた西成区全域で生活保護者の受診病院を指定するなど、結局はあいりんとは無関係の理由の人も含めて、生活保護になった人をたまたま西成区に住んでいるというだけで差別し、貧困ビジネスを後押しするとも受け取れるものである。

橋下の「西成特区構想」のせいで、西成区への風評被害が蒸し返される形になった。

橋下は2012年1月29日、西成区選出の尾上康雄大阪市議(共産党)の「西成区はあいりんだけの一面的なイメージではないと、地元の人間は認識しているが、市長はどう考えているのか」という市会質問に対し、「何の話をしているかさっぱりわからない」と答弁した上で、尾上市議が「あいりん地域はあのままでいいと言った」と、言ってもいないことを言ったかのように印象付けようとする物言いをおこなった。

 2012年8月末に実施された「西成特区シンポジウム」。会場参加者からのアンケート用紙での質問・意見について、西成特区を中心的になって進めて...

また2012年8月に大阪市(西成区役所)が主催した「西成特区構想シンポジウム」でも、会場で来場者に記入してもらった感想文や文書質問の用紙には、【西成区はあいりん地域だけではない】【あいりん問題は西成区だけに押し付けず広域的に取り組むべき】【西成特区構想自体が偏見や風評被害を生んでいる】などの意見が出されている。

 2012年8月末に実施された「西成特区シンポジウム」。会場参加者からのアンケート用紙での質問・意見について、西成特区を中心的になって進めて...

「西成特区構想」が「大阪都構想」と結び付けられたことで、西成区と一緒の特別区にはなりたくない、地価が下がるなどという地域ヘイトが強まる形になった。

橋下維新が「あいりん地域を官庁街に」と打ち出し、さらに新中央区役所をあいりん対策と結びつけながら「西成区役所を新区役所の庁舎にする」と騒いだことで、西成区役所があり周辺は落ち着いた地味な住宅街で「大フィルがある街」「ザ・タイガース駆け出しの地」「ノーベル賞学者福井謙一博士が少年時代を過ごした街」でもあり、別に特殊な課題があるわけではない岸里が、西成区というだけであいりんと同一視され、おかしな街のような悪質な風評被害を生んだ。そもそも、岸里は地理的にも行政・文化的にも西成区のど真ん中ではあるが、橋下維新の都構想による新「中央区」では岸里は端になり不便であるのに、あいりん地域と同一視した「西成」と騒ぐためだけに岸里を貶めたのはまさに風評被害の典型例である。

他の区では報道しないのに、西成区に関してのみ「都構想で西成区と一緒になるのは」などと否定的な意見が強調されてマスコミ報道されるなど、維新のせいで地域ヘイトが続いた。

いまみや小中一貫校

他にも、いまみや小中一貫校設置の問題もあった。

もとは西成区北東部での小学校規模適正化が検討され、小学校統廃合の選択肢もあったというだけの話だった。しかし、ちょうど地元での検討が具体化しつつある時期に橋下が現れて、「エリート小中一貫校設置」「西成特区構想」の2つの持論を押し込むために統廃合問題を悪用して、「弘治・今宮・萩之茶屋の3小学校統合により、中学校に新小学校を併設して小中一貫校を設置する」と、地元要求では考えもつかなかったものを押し付けた経緯があった。

小中一貫校の設置場所が校区の北端に偏っていて地理的に通学に困難をきたす。あいりんに近接する場所で環境が悪い。地元では小中一貫校の選択肢は考えていなかった。あいりん問題と学校規模適正化は別個の問題なのに、子どもをあいりん問題の盾にして利用する形になる。――などの批判や疑問が生まれた。

橋下は挙げ句の果てには、2015年10月、いまみや小中一貫校に関連して、あいりん地域といわれる地域と地理的に重なり、あいりん問題を扱う際には頻出の地名となる萩之茶屋に位置する「萩之茶屋小学校」を、街頭演説で2回にわたって「おぎのちゃや小学校」と連呼する失笑ネタも。

ツイッターで妙な内容のツイートが流れてきた。 柳本さんの門前までわざわざやってきて仕掛けた街頭演説で橋下さんが「萩之茶屋」を「おぎのち...

津守幼稚園

大阪市立津守幼稚園の廃止の経緯も忘れてはいけない。

この幼稚園は前市政以前でも、廃止も含めた将来像について、慎重に地元との折衝が進められていた経緯はある。しかし橋下市政のもとで、廃止方針をより強硬に打ち出される形になった。橋下市政のもとで2012年、市は保護者に対して「需要があるというなら、保護者が次年度入園希望者を一定数集めろ」無理難題を突きつけた。

もともと入園者募集は大阪市の責任に属することであり、保護者に求めること自体が筋違いである。それでも保護者は、近隣地域を回り、市が設定した数を上回る入園希望者を集めることに成功した。

しかし市はそれすら無視して、その年度こそ入園希望者を認めたものの、その後廃止ありきで幼稚園の廃止を強行した。

幼稚園の廃止一つとっても「手厚い行政」「市民ファースト」などどこを見ていっているのかというものである。

住吉市民病院

住吉市民病院問題についてもひどい対応をしている。住所は住之江区になるが、西成区との境界付近に位置し、西成区中部・南部にとっても「地元の病院」扱いされているものである。

西成区や住之江区だけでなく、大阪市南部医療圏にとっても、小児周産期医療の拠点病院として重要な役割を果たしている。

建物の老朽化によって、建て替えに伴って小児周産期医療に特化する病院に改編する計画が、前市政時代に立てられていた。しかし橋下が「大阪都構想」に絡んで、「市立と府立の病院があるのは二重行政」と難癖をつけ、約2キロ東の大阪府立急性期総合医療センターに統合する方針を立てた。

しかし、ただでさえ近隣病院での小児周産期医療の受け入れ体制が限界近くを迎えていることで、物理的に病床を減らすのは明らかに医療水準低下につながるという批判が起こり、廃止反対運動が起きた。

大阪市会では「跡地に民間病院を誘致する」という付帯決議をつけたが、民間病院の誘致も進まず、決まった民間病院についても医療体制が縮小することが確実視されていることなど、数々の問題が吹き出した。

おまけ

以上の内容を140字のツイッターにまとめたのがこちら。

なぜか知らないが、維新の信者がこのツイートの『あいりん地域の否定的現象を西成区のすべて扱いして地域ヘイトを振りまくだけの「西成特区構想」』のくだりに噛み付いて、おかしなクソリプが大量に来た(笑)。

維新の信者の言い分は全て、「馬鹿」だのと感情的な暴言だったり、「柳本ガー」とか、明らかに地理も実態も知らない、「あいりんの表面的な現象だけが西成区」と思い込んでの見当外れではある。

まあ、維新信者にとっては痛いところをついたツイートだったとでも解釈しておくか。

彼らはいくら事実を突きつけられても破綻済みの嘘を蒸し返すのであろう。しょせんは西成区のことを知らず、「おぎのちゃや」とか謎のパラレルワールドを持ち出して「西成」と騒いだ橋下教祖を盲信しているのだから。

しかし、信者ではない多くの方に橋下維新に関連する事実を知っていただきたいというのが、当ブログエントリの趣旨である。