総合区と合区は別の概念、一緒に論じるのは誤り

大阪維新が一度否決されたはずの大阪市廃止解体、いわゆる「都構想」をしつこく蒸し返している。それに対して、公明党などが「総合区」で対応する対案を出している。これらの案では、「特別区」にしても総合区にしても、現行24区の合併を前提にしている。

しかしそもそも、総合区=各行政区の権限強化と、合区=行政区の合併は、全く異なる概念である。特別区なり総合区と合区を結びつけて同じ土俵で議論すること自体がおかしい。

政令指定都市では、市役所本庁(直下の各部署)と各行政区役所との権限分担は、国の法律や政令で統一基準があるわけではなく、各市ごとに異なっている。例えば大阪市では市役所本庁内の部局・および部局直下の出先機関が担当する公園・営繕などの業務担当部署が、他の政令指定都市では区役所内に設けられている例もある。

総合区という制度にこだわらなくても、特に後発の政令指定都市で区の権限が増大していることで、大阪市でも条例などで適切な振り分けを行えば、現行行政区でもできるのではないかという気もする。実際、教育分野では、区長に教育委員会の教育次長を兼務させる形で、各区の学校教育の課題を区役所でも扱えるようにしている。

しかし行政区か総合区かは、あまり本質的な問題ではないともいえる。総合区に変更すること自体がどうかという論点については、そんなにこだわる内容ではない。

大阪市の廃止解体=特別区と、総合区・行政区を並べて選択させるという発想がおかしい。

行政区の合併・再編・境界変更は、今の大阪市のままでもできることである。特別区や総合区の議論とは全く別の話である。

大阪市でも行政区の再編は数次にわたって行われてきた。

1970年代初頭には、人口減少傾向のあった都心部の行政区の統合や、市街地化で人口急増傾向の郊外部の行政区の分割が検討された。合区についてはいずれも、もともと同じ区から分かれた歴史を持つところの再統合の組み合わせですら、反対意見が出て断念している。合区と分区を同時にする予定だったが、結局は分区のみを実施し、1974年7月の分区となった。

そして1989年に2組の合区が実施された。北区・大淀区の合区については、1970年代の案にも含まれたもので、最初の案が出されてから20年近くかかった形になる。

合区については現在、地元住民からは特に強い要求が出ているわけではない。そんな中で合区をおこなおうとしても、議論が紛糾するだけでまとまらないのではないか。

しかも2015年の「大阪都構想」=大阪市廃止解体の住民投票に関連して、特別区再編の際に無理やり現行行政区をくっつけて分割する組み合わせにしたことから、各行政区間で地域蔑視などの状況も生まれた。

とりわけ、西成区については、西成区そのものは大半がこれと言ってなんの特徴もない平凡な住宅街にもかかわらず、「あいりん地域の否定的な現象と故意に同一視された、誤った西成区イメージ」を、維新や維新の言動を報じるマスコミによって振りまかれ、地域ヘイトともいえるような悪質な状況が振りまかれた。

維新の会の西成区地域差別ビラの中身を分析

西成区は極端な例ではあるが、他にも特定の区について、差別や分断、見下していると受け取れるような物言いも聞かれた。

そういう地域分断・地域ヘイトはもういらない。