大阪都構想:特別区の区割りを出すこと自体が馬鹿にしている

ニュース大阪都構想, 維新の西成区ヘイト

各紙の2017年7月14日付新聞報道によると、2015年5月17日の住民投票をもって完全に否定され、歴史的な事象となったはずの大阪市解体と現市域の特別区への解体、維新がいうところのいわゆる「大阪都構想」について、「5区が否定されたのなら4区や6区で」という非常になめきった発想の元、4特別区にする場合と6特別区にする場合の区割り案をまとめ、区長会議で承認を得る方針だとか。

地図は朝日新聞のwebより。

都構想「4区」「6区」区割り案(出典:朝日新聞web版2017年7月14日付)
都構想「4区」「6区」区割り案(出典:朝日新聞web版2017年7月14日付)

そもそも、大阪市を解体するという事自体が、決して受け入れられないものである。いくら区割りの組み合わせを変えようが、大阪市解体によって市の財源の一部が府に吸い上げられ、特別区の財政は困難になることには何の変わりもない。

また政令指定都市である現在よりも自治権が大幅に縮小して、これまで市単独でできていたことでも、府のお伺いを立てなければいけないということにもなる。

また2015年の「都構想」に際しては、維新や支持者は区割りの問題だけに矮小化し、「どこの区と組むと地価が上がる」「どこの区と一緒になると地価が下がる」など大阪市内同士で地域分断・地域差別のような行為を繰り返した

一番激しく攻撃の標的にされたのは西成区、特に古くからの住宅地で歴史的にも由緒があり、今は多少下町化しているとはいえども元々はお屋敷町だった歴史もある西成区の南部である。

岸里や玉出は約90年前(1925年)、天下茶屋の東部や天神ノ森は約70年前(1943年)、たまたま現在のあいりん周辺と同じ区に入れられたというだけで、地理的にも歴史的にも全く違う地域で、歴史も現在の住民の生活圏も全く別にもかかわらず、橋下維新は「西成」の地名を「あいりんでの否定的な現象を面白おかしく言い立てる代名詞」という、事実に反する上に、西成区の住民や出身者など西成区に縁のある人を著しく不快にさせるような内容を勝手に言い立てて宣伝した。

あいりんはたまたま西成区北部の一部地域にも現れた現象ではあるが、元々の地元住民由来の課題ではない。都市としての大阪広域の課題であるし、歴史的には西成区よりもむしろ浪速区や中央区が中心となるものであり、言葉は良くないが、浪速区や中央区が逃げて西成区北部のごく一部に押しつけたものである。また浪速区などにも同等の課題を持つ地域が広がっているのに「あいりん=西成」と結びつけることで、西成区南部の関係ない地域への風評被害が出たり、また本来の課題のある地域は無視するので都市問題としての対応も表面的になってしまうことになる。

「あいりんの否定的現象=西成」と勝手に結びつけるのは、元々はあいりんの支援団体などがやり始め、マスコミなどもそれに乗ったものである。この間違った扱いで、西成区の元々の地元の住民が嫌な思いをしてきた経緯がある。

大阪市は1990年代までは「あいりんの人たち好みの対策」という一面的な視点だった。2000年代になり「あいりんの人たちへの対策によって、元からその地域に根ざして生活している地元の人に地域環境悪化などのしわ寄せが来ている実態を改め、地元の人の地域環境を向上する地域主体の街づくりを中心に据える」という方向に変わり、不法屋台の撤去など少しずつ変わりはじめ、西成=あいりんと結びつけての風評被害も小さくなりつつあった。

しかし橋下維新が「大阪都構想」に絡めて、西成区を「お荷物地域」「ババ」扱いしたことで、西成区への風評被害が蒸し返された。このことは、今思い出しても絶対に許せない。

こういうことが大阪市のあちこちで再び起きると考えただけでも、恐ろしいし、気分が悪い。

スポンサーリンク