恣意的な「ヘイト」認定の危うさ

考察ヘイトスピーチ

2017年9月8日、ヘイトツイートに対するツイッター社への抗議行動がおこなわれたという。

ヘイトツイートとされるツイートをプリントアウトして持ち寄り、ツイッター社の前の道路に並べて広げ、踏みつけて広げる抗議行動をしたらしい。

ヘイトや差別がいけないのは当然であるし、ヘイトを許容するなどありえない。

しかしその一方で、ヘイトスピーチを拡大解釈し、「自分の気に入らない言論=ヘイト」認定しているだけの低質な輩が紛れ込んでいる様子。

例えばこれ。

元ネタになっているのは「ろくでなし子」氏のツイート。

表現は多少過激だが、いいたいことは理解できるというものであり、ヘイトには該当しないと考えられるものである。

「被差別」「マイノリティ」を振りかざせば、自分たちは暴力や嫌がらせなど何をしてもいい、自分たちとは違う属性を一律に差別して当然、自分たちの暴力行為や差別行為が批判されると居直って「お前らは自分たちを差別している」と相手を恫喝し相手におかしなレッテル貼りをおこない黙らせようと図る――解同朝田理論が代表的だが、そういう誤った「反差別」運動やその影響を受けてチンピラ同然に脅す輩が批判されていると考えられるものである。

実際、部落解放同盟の手口はそのようなものである。他の人権問題でも、「フェミニスト」を自称する輩が実際は男性を差別して「オス」だとか男性器名をもじったような隠語で見下して呼んだり、女性専用車両では痴漢の問題を曖昧にして「男性は全員痴漢」かのように見下して罵倒する、いわゆる「ツイフェミ」「ミサンドリー」という連中を、ツイッターなどでもよく見かける。

「ろくでなし子」氏はこういう輩を批判していると受け取れるものである。

しかしこのツイート主は、「差別」だと決めつけて居直っている。ツイート主もこういう「被差別」「マイノリティ」を振りかざしながらの差別行為をしているという自覚があるのだろうか。

こういう現象が起きるのは、数十年前からの解同朝田理論の悪影響に加えて、ヘイトの認定が曖昧で恣意的というのがあるのではないか。

特定の属性を差別すると受け取れる表現は当然許されない。しかし「被差別・マイノリティを振りかざせば何をしてもいい、何でも抗議行動と正当化できる。自分たちに逆らう人間には差別者のレッテルを貼る」ということで結果的に別の差別を生み出し自らが他者への差別者・人権侵害者になっていることには無頓着という風潮は、考え直すべき課題である。

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