「呪い」を乗り越えるために

内田樹『「呪いの時代に」ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか』を読んだ。

「週刊現代」2011年12月10日号に掲載され、2012年1月にウェブ上にもアップされた。

内田氏が「呪い」と呼ぶ、一方的に他者をたたきのめすような一方的な言説がちまたにあふれかえっている。

 寸鉄人を刺すような一言で効果的に相手を傷つけ、生きる意欲まで奪うような能力を、人々は競って身につけようとしています。そして、現にそれは功を奏している。呪いをかける人々は、他人が大切にしたり、尊敬したりしているものを誹謗中傷し、叩き壊し、唾を吐きかけ、その代償に強烈な全能感を獲得します。社会的に無力な人々がこの破壊のもたらす全能感に陶酔するのは、ある意味で当然なのです。

呪いによって、相手のすべてをたたき壊しときには生命すら奪うことで、社会的には非力な人間でも全能感を得ることができる。

一方でそれは麻薬のようなもの。「症状がさらに進むと、攻撃したり、破壊したりする必要がどこにあるのか誰も理解できないものに対してさえ、「誰かがそれを大切にしている」という理由だけで標的にして、唾を吐きかけ、踏みにじらずにはいられなくなる。」と指摘し、結果的には自分にも返ってくると論じている。

なぜ呪いが蔓延するようになったか、自己評価の高さと他者からの評価の低さのギャップにあるとする。落差を埋めるために呪いに手を出す。呪いを解くには、ありのままの自分を受け入れて「祝福」することが重要と論じる。

内田氏のいうところの「呪い」の具体的中身、またそれを生み出す背景への分析としては確かに一理あり、考えさせられる。

「恵まれている」(とみなした)他人を攻撃して引きずり降ろしても、自分が幸せになれるわけではないし、生活が向上するわけでもない。呪いを解くには自己の内面を省察することも重要である。

同時に、就職難や長時間過密労働・低賃金など、人並み以上の努力しても肯定されないような社会になっていることにも目を向け、社会システムそのものを改善していく方法を模索していかなければ。