2020年7月19日、ツイッター上の熱狂的な維新信者の某が、淀川左岸線となにわ筋線の問題でおかしなツイート、それを松井一郎大阪市長が拾ってリツイートで拡散。
はぁ・・・。また使い古されたデマ。
維新信者は元大阪市議・柳本顕氏のツイートを曲解し、噛みつく形で、
つまりこれまでの大阪では『検討までは出来る』ということ。 ただ『実現するための体制』がなかったということですね。 知事と市長の関係に左右されない『実現するための体制』にするにはやはり都構想だと改めて思いました。
などといっている。
しかし淀川左岸線もなにわ筋線も、実現が遅れたことには府市対立も、二重行政も、都構想も、何の関係もない。
計画そのものは、大阪府と大阪市が合同で策定し推進してきたもの。
大阪府と大阪市が計画を具体化するにあたり、工事費用負担の問題、工事によって周辺地域環境への悪影響が心配される環境問題、またそもそも論として「必要か?不要不急ではないか?」などといった課題が指摘され、それらの検討に時間を費やすことになったことで、長期間にわたって具体的な工事に着手できなかったものである。
「大阪府と大阪市が対立していたから」というのは、全くの虚構である。
淀川左岸線
淀川左岸線一期工事区間は、1985年に構想が発表され、1986年に都市計画が決定された。
当初は此花区の正蓮寺川を堀割で通す計画だったことで、排ガス公害の問題が心配され、計画の見直しと「ふたかけ」・排ガス脱硝装置を求める住民運動となった。
住民運動を受けて計画が再検討され、道路にふたをした上でふたの上の正蓮寺川を公園化する計画へと変更された。
2002年に道路にフタをかけて地表を緑地にする構想へと変更した上で建設が進められ、2013年5月に一期工事部分が開通した。
工事着工が2000年代までずれこんだのは、計画再検討の影響である。

工事着工の時期は維新が存在しない時代の話だし、府市対立など何の関係もなければ、都構想も何の関係もない。
二期工事部分については、福島区・北区付近の淀川左岸堤防をくりぬいて道路を通すなどの過去に例を見ない工法に対して、堤防の強度、地震や水害が起きたときなどの安全性を不安視する環境面での声が出た。
国会でも地元大阪4区が地盤の清水忠史衆議院議員が、衆議院国土交通委員会で複数回取り上げていた。
これも府市の問題は別に関係ない。事業への評価・賛否はともかく、計画そのものは府市合同で構想したもので、反対意見・慎重意見が出て計画そのものが進んでいなかったのは別の理由となる。
なにわ筋線
なにわ筋線の原型となる構想は、1982年2月に大阪府と大阪市が合同で構想した「鉄道網整備調査委員会」にさかのぼる。

大阪市資料
(https://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/cmsfiles/contents/0000456/456730/koremade_4.pdf)
その後政府の審議会で具体化され認可に至るという経過。
なにわ筋線については、国・大阪府・大阪市・鉄道事業者の工事費用負担割合をどうするか、至近距離を四つ橋線が並行していること・関西国際空港からの時短効果はそれほど見込めないことなどで新線を建設するにあたっての対費用効果はどうなのかなどの課題が出て、長期間にわたって検討課題となり、工事の具体化に至らなかった。
そもそも府市合同で策定した計画である以上、府市の対立とかありえないことになる。
たまたま維新の時代に工事が具体化することになったが、維新だから工事が具体化したのではない。維新の府政・市政の時期と、インバウンドなどで建設機運が上向きになった時期とがたまたま重なったというだけ。コロナ禍でインバウンドも影響を受けたことから、場合によってはなにわ筋線計画の延期・凍結の決断を迫られることも起こりうるかもしれない。